2017年 04月 16日
自分の欲望は誰の欲望か |
もう少し人間の心は敏感だと思うんだけど、不感症だといくら刺激的なことしても大丈夫。」
「いかなる病気、性癖も極端なのは特に問題ないと思うんだよ、それはもうわかりやすく病気だし治療対象だし。
困るのは、わかりにくくて目に見えないやつ。」
「歴史上IQ160以上ってほとんど何も業績残してないって話知ってるかしら。周囲と違い過ぎて、社会適応できなくて結果何にもならないらしい。だから極端なのはもう別世界であんまりやばくない。
困るのは、わかりにくくて目に見えないやつ。」
「歴史上IQ160以上ってほとんど何も業績残してないって話知ってるかしら。周囲と違い過ぎて、社会適応できなくて結果何にもならないらしい。だから極端なのはもう別世界であんまりやばくない。
芸術家は独創と共感の揺らぎだから、独創しかないのはやっぱダメなんだな。共感されないと他人に受け入れられないからね。」
「世の中のほとんどの人は、多分他人の欲望を自分の欲望と取り違えて生きてると思うんだよね。
ぼくらは小学校の頃から、テストでたとえば「日本で最初の内閣総理大臣は誰ですか?」という問題に「伊藤博文」と答えるのに慣れる練習をしてて、別に伊藤博文のことを自分で調べたわけでもないのに、教科書にそう書いてあったことをあたかもそれが自分の導きだした答えであるかのように答えてる。
そうやって出来あがった人間は、自分の欲望を見失ったまま「偏差値の高い有名学校に入らないと」「有名な上場企業に入らないと」「28までには結婚しないと」「年収は一千万ないと」そんな全部誰かが決めた他人の欲望をあたかも自分の欲望であるかのようにすり替えて生きていくしかなくなる。
最後は「人間は何歳くらいで死ぬものですよ」という平均年齢すらをも自分の欲望と取り違えて、ちゃんとその通りの年齢で死んでいくわけだ。(自営業の人らがみな、見た目がとても若いのは、そういう理由だと思う)
何物にも代えがたい自分の欲望がくっきりとある人の存在は、他人の欲望でしか自分の欲望を計れない人にはたまらなく魅力的に映るんだろうと思う。だから◯◯を失うことは彼にとっては欲望の源泉というか、つまり生きる力そのものを失うことなのかな、って思った。
でもさ、すり替えでない本当の自分の欲望って、多分狂気からしか生まれないんだよね。◯◯が始終鬱になってしまうのは、そういうことなのかな。
だから、人間は社会を成り立たせるために、いつの間にか人間の生きる力の源泉である欲望を他人の欲望っていう作りものの神様に、こっそりすり替え、去勢したのかなとも思うよ。それがたぶん世の初めから隠されていることなんだろうなと。」
「すり替えでない欲望が生まれる瞬間は、自分が怠惰な時だ、と気づいた時があった。
ぼくらは小学校の頃から、テストでたとえば「日本で最初の内閣総理大臣は誰ですか?」という問題に「伊藤博文」と答えるのに慣れる練習をしてて、別に伊藤博文のことを自分で調べたわけでもないのに、教科書にそう書いてあったことをあたかもそれが自分の導きだした答えであるかのように答えてる。
そうやって出来あがった人間は、自分の欲望を見失ったまま「偏差値の高い有名学校に入らないと」「有名な上場企業に入らないと」「28までには結婚しないと」「年収は一千万ないと」そんな全部誰かが決めた他人の欲望をあたかも自分の欲望であるかのようにすり替えて生きていくしかなくなる。
最後は「人間は何歳くらいで死ぬものですよ」という平均年齢すらをも自分の欲望と取り違えて、ちゃんとその通りの年齢で死んでいくわけだ。(自営業の人らがみな、見た目がとても若いのは、そういう理由だと思う)
何物にも代えがたい自分の欲望がくっきりとある人の存在は、他人の欲望でしか自分の欲望を計れない人にはたまらなく魅力的に映るんだろうと思う。だから◯◯を失うことは彼にとっては欲望の源泉というか、つまり生きる力そのものを失うことなのかな、って思った。
でもさ、すり替えでない本当の自分の欲望って、多分狂気からしか生まれないんだよね。◯◯が始終鬱になってしまうのは、そういうことなのかな。
だから、人間は社会を成り立たせるために、いつの間にか人間の生きる力の源泉である欲望を他人の欲望っていう作りものの神様に、こっそりすり替え、去勢したのかなとも思うよ。それがたぶん世の初めから隠されていることなんだろうなと。」
「すり替えでない欲望が生まれる瞬間は、自分が怠惰な時だ、と気づいた時があった。
つまるところ自分の欲望を直視する行為は、底が抜けてる。底が抜けるのが怖いから、人は他者の欲望とすり替える。
山本七平という作家が言っているのだけれども、致命的な交通事故から生還した人は事故に合う間際の光景を鮮明に覚えていることが多くて、運転手の表情からそのヒゲまで全部事細かに言えたりするんだって。
それは、死ぬ間際に人間はあらゆる意味のフィルターをなくしてしまって、網膜に直接、焼き付けを起こしているのではないかという話。
ラカンが、意味や理由、もっと言ってしまえば言葉が、人間が世界を見るためのフィルターの役割を果たしていると言ったのだけれど、彼が言うには世界は「想像界」「象徴界」「現実界」の三つから成り立っているらしい。
「想像界」というのは言うまでもなくイマジネーションの世界、で「象徴界」というのが我々が普段見ている世界。
象徴界は、実は全然現実そのものではなく、人間が言葉や意味によって、本来渾然一体のカオスな世界を意味付けすることで秩序立て成り立たせている世界だというのが彼の主張なんだ。
そしてその本来の、渾然一体なカオスの世界を「現実界」というんだという。
そう言われてみれば、ハエがぷーんと飛んできて、机の上のコップにとまるとき、恐らくハエには、机とコップの区別がついておらず、よもや切り離せるものだとは夢にも思っていないのかもしれない。
それどころか彼には机と床の区別もついていないし、床と椅子や、床からつながっている壁や扉、天井すら区別がついていないかもしれない。これを区別できるのは、人間が言葉を使い、そこに意味や根拠を見出すからだ。
だからハエにとってはコップも机も床も壁も天井も、すべてが混然一体のカオスなのかもしれない。
そういう渾然一体の世界は、世界を分けて細かく見ることに慣れ過ぎた我々にはあまりに刺激が強すぎて、直接見ると焼き付けを起こして頭がおかしくなってしまうという訳だ。だから死に際にしか見れない。
でもきっと、好きという感情は、底が抜けている、根拠がないという意味において、その全ての意味が喪失した世界への、裂け目になっているような気がする。世の初めに隠された、狂気の世界への入り口になっている気がする。そんなところに行ったら、自我なんてものは一網打尽で、バラバラになってもう二度と戻ってこれないのではないか。そう思って、少し考えることを休んでた。
もしかしてなんだけれども、怠惰なことというのは、退屈しているというのは、ある意味で、あらゆる意味を喪失する方法なのではないかとも思う。人間をハエに近付ける方法なんじゃないのかな。」
山本七平という作家が言っているのだけれども、致命的な交通事故から生還した人は事故に合う間際の光景を鮮明に覚えていることが多くて、運転手の表情からそのヒゲまで全部事細かに言えたりするんだって。
それは、死ぬ間際に人間はあらゆる意味のフィルターをなくしてしまって、網膜に直接、焼き付けを起こしているのではないかという話。
ラカンが、意味や理由、もっと言ってしまえば言葉が、人間が世界を見るためのフィルターの役割を果たしていると言ったのだけれど、彼が言うには世界は「想像界」「象徴界」「現実界」の三つから成り立っているらしい。
「想像界」というのは言うまでもなくイマジネーションの世界、で「象徴界」というのが我々が普段見ている世界。
象徴界は、実は全然現実そのものではなく、人間が言葉や意味によって、本来渾然一体のカオスな世界を意味付けすることで秩序立て成り立たせている世界だというのが彼の主張なんだ。
そしてその本来の、渾然一体なカオスの世界を「現実界」というんだという。
そう言われてみれば、ハエがぷーんと飛んできて、机の上のコップにとまるとき、恐らくハエには、机とコップの区別がついておらず、よもや切り離せるものだとは夢にも思っていないのかもしれない。
それどころか彼には机と床の区別もついていないし、床と椅子や、床からつながっている壁や扉、天井すら区別がついていないかもしれない。これを区別できるのは、人間が言葉を使い、そこに意味や根拠を見出すからだ。
だからハエにとってはコップも机も床も壁も天井も、すべてが混然一体のカオスなのかもしれない。
そういう渾然一体の世界は、世界を分けて細かく見ることに慣れ過ぎた我々にはあまりに刺激が強すぎて、直接見ると焼き付けを起こして頭がおかしくなってしまうという訳だ。だから死に際にしか見れない。
でもきっと、好きという感情は、底が抜けている、根拠がないという意味において、その全ての意味が喪失した世界への、裂け目になっているような気がする。世の初めに隠された、狂気の世界への入り口になっている気がする。そんなところに行ったら、自我なんてものは一網打尽で、バラバラになってもう二度と戻ってこれないのではないか。そう思って、少し考えることを休んでた。
もしかしてなんだけれども、怠惰なことというのは、退屈しているというのは、ある意味で、あらゆる意味を喪失する方法なのではないかとも思う。人間をハエに近付ける方法なんじゃないのかな。」
by me1t
| 2017-04-16 00:00