2016年 11月 28日
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小説といえば村上龍くらいしか夢中になって読めない自分が、村田沙耶香『コンビニ人間』は非常に興味深く一気によんでしまった。
幼少期の個性的な言動が取りざたされたことから、「普通」を意識するあまり周囲の人物の言動、服装までコピーして社会に順応しようとする主人公の話。
この話は極端だが今や多くの人が多かれ少なかれこの主人公のような部分を持って生きてるんじゃないかと思った。
というか、この主人公みたいなタイプがいまの社会の多数派になってるんじゃないのとも思った。
コンビニ人間の主人公は病的な人物として描かれている。でも主人公はすごく努力をして、本人が考える「普通」になろうとしている。(なれてないけど)
読みながら、正直いってもう見た目で具体的に治療対象である方が救いがあるんじゃないかと思ってしまった。
目に見えない病的な、でも「普通」を装うことができるグレーゾーンの人って結構いる。わかりやすく治療対象であることも辛いが、目に見えない障害も辛い。
自分の周りにいる、目に見えない障害のようなものを抱えている人たちは皆努力をして仕事をしたり生きているが、私は彼らの距離が近くなればなるほど苦しくなることがある。彼らに良い部分はたくさんある。が、彼らの言動に頭を抱えてしまい、理解しようと思ってもできないこともある。
読みながら、正直いってもう見た目で具体的に治療対象である方が救いがあるんじゃないかと思ってしまった。
目に見えない病的な、でも「普通」を装うことができるグレーゾーンの人って結構いる。わかりやすく治療対象であることも辛いが、目に見えない障害も辛い。
自分の周りにいる、目に見えない障害のようなものを抱えている人たちは皆努力をして仕事をしたり生きているが、私は彼らの距離が近くなればなるほど苦しくなることがある。彼らに良い部分はたくさんある。が、彼らの言動に頭を抱えてしまい、理解しようと思ってもできないこともある。
人のことを言っておきながら、自分にも一見では見えない(かもしれない)病的な部分があり、それが周囲の人物を傷つけ困惑させているのかと思うと胸が痛くなる。
「障害」は、個性であり才能である。心からそう思う。しかし、一見目には見えない「障害」のようなものが近くにいる人を苦しめるということもままあるのだ。
「障害」は、個性であり才能である。心からそう思う。しかし、一見目には見えない「障害」のようなものが近くにいる人を苦しめるということもままあるのだ。
by me1t
| 2016-11-28 00:00