2016年 11月 04日
あの日見た空が飛んでるように跳ねていた |
何かものごとを考えるときに"I"ではなく"We"で考える頻度が多くなったと思う。we/our/us/oursだっけ。そういうときに頭の中に浮かべるイメージはたいてい友人のMさんだ。
私たちは今は年に1回会えれば良い方だけど、よくスタンプだけでやりとりをする。
言葉じゃなくてスタンプに気持ちを込めて送ってるの。
彼女が作る作品は才能に溢れていて多くの賞をとっていて、とても切実で、透明感のある青色が印象的だ。
彼女の作品を見ると、私たちは離れていても繋がっていて、私たちはいつかまたきっと会う、みたいな詩的なことを考える。
彼女の作品を見たり、2人で生活やアートのことを話してるときいつも思ってた。
本当に満足いく表現というか作品ができたら、そのときに息が止まるんじゃないかということ。
それはきっとすごく幸福なことだろうということ。
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「あの時あなたが言っていたことが今になってわかった」とある人から言葉をもらった。
「私の目は間違っていなかった」その時思わず口から出てしまったが、正しさや正しくなさについて、本当は全くわからない。けれど、周りの人がどう思おうと関係なく、自分が見えている世界こそが大切だということ・・・
「私の目は間違っていなかった」その時思わず口から出てしまったが、正しさや正しくなさについて、本当は全くわからない。けれど、周りの人がどう思おうと関係なく、自分が見えている世界こそが大切だということ・・・
たとえば、Aさんがどれだけすばらしい仕事をしていて著名人で、有名人の友達がたくさんいてお金を稼いでいても、自分の目に映るAさんは信用できない人物だ。
Bさんは狂人で、話していることも支離滅裂だからメールがきてもほとんど返信することができない。しかし、Bさんは圧倒的な純粋さを持っていて圧倒的な絵を描くから信用できる。
誰かにとっての自分も信用できない人物。
様々な信用を失って多くの迷惑をかけて生きている。今日も罪悪感を抱えたまま眠りにつきます。
by me1t
| 2016-11-04 00:00