2015年 12月 31日
I'm blogging! |
おひさしぶりです
また1ヶ月以上も更新があいてしまいました・・・
今日は大晦日!
もういろんな人がみすぎていて、うかつにブログを書けなくなってしまったのですが
ずっとブログを見てくれている人から嬉しいメールがきたので、書いてみます
今年中に書き終えることができるかな
先月末から今月初めまでは、グループ展『新章風景』に参加していました。
最終日には布施英利さんも見に来てくれたようです。(わたしは体調崩し強制退場)
布施さんには、私が手の写真を撮ってることに興味をもってもらい、参考になる本などを教えてもらったことがあるのです
あと、トークを見に来てくれたきのさんという方が書いてくれたブログがとても興味深かったのでこちらも載せてみます
どうぞ
新章風景ついて
私も展示をおこなう醍醐味って、見に来てくれた方とコミュニケーションできることだと思うの
トークで質問してもらうのが好き。強制的に即興性のあるコミュニケーションが好きなんだ。そういうときだけすごく脳が活性化してる気がするの
今年も去年と同じく、新しいことができた1年だった
来年も新しいことにとりくめる1年にしたい
目標は地元の新聞に取材してもらうこと
写真を通じて自分の人生の充実感や、生きてる感を獲得している
写真を通じて、と書いてしまうと限定的になってしまうけれど、本を読んだり音楽を聞いたり映画をみたり人とであったり話したりして、そういうことが気づいたら写真行為につながっている気がするね
また1ヶ月以上も更新があいてしまいました・・・
今日は大晦日!
もういろんな人がみすぎていて、うかつにブログを書けなくなってしまったのですが
ずっとブログを見てくれている人から嬉しいメールがきたので、書いてみます
今年中に書き終えることができるかな
先月末から今月初めまでは、グループ展『新章風景』に参加していました。
最終日には布施英利さんも見に来てくれたようです。(わたしは体調崩し強制退場)
布施さんには、私が手の写真を撮ってることに興味をもってもらい、参考になる本などを教えてもらったことがあるのです
若い人の作品を見ようと、ギャラリー巡り。まずはターナーギャラリーで「現代における風景写真の在り方」。新井五差路さんの、龍安寺・富士山・ゴミの山の、三角形三連発と、新井さん。それと、北沢美樹さんの雨滴の写真(左)。 pic.twitter.com/5JjFFZYJtF
— 布施英利 (@fusehideto) 2015, 12月 5
新井ごさろさんは目がすごくキラキラした少年みたいな人!新井さんには諸星大二郎を教えてもらった!「どこまでが鳥でどこからが肉か」の問いかけは興味深かった。私が興味ある境界への問いかけとも繋がると思う。新井さんの作品についても編集者の斉藤さんが記事を書いてくれて、すごくおもしろかったので読んでみてくださいfacebookあと、トークを見に来てくれたきのさんという方が書いてくれたブログがとても興味深かったのでこちらも載せてみます
どうぞ
新章風景ついて
その左手の壁には先の無機質で記号的な作品とは正反対な、詩的でエモーショナルな小ぶりの作品群が無造作に、けれどある緊張感をもって展示されていた。
その内の一枚はまるで肌寒い夜空のようであり、別の一枚は陽だまりで描かれた水彩の水玉模様のようであったかと思うと、今度は早朝の雪景色のようだった。
けれどよくよく見ると、どれもガラスに写った水滴であることがわかる。彼女に聞いたところ(この作品は一目で女性作家のものであるとわかる)これは実家に帰ったときに、窓についた水滴が気になって撮り始めた連作であると言う。
なるほど!と僕は腑に落ちた。彼女は自作について語るときに「よくわからないんだけど」と何度か口にしていたけれど、たぶんその理由はこの「腑に落ちる」という感覚にあると思うんだ。腑に落ちてしまったものは、説明できないからね。
ユングという人が「人は理解できないものを説明したがる」と言っていたけれど、彼女の場合はその逆なんじゃないかな。まず何かが腑に落ちて、それを集めてみる。そこに説明はいらない。
気になって僕は彼女のポートフォリオをざっと見たんだけど、どれもとても腑に落ちる作品だった。デザイン会社IDEOの言葉を借りれば、without thinking (考えなし)でわかってしまうものだと思う。
でも、これじゃあまりにも主観的すぎるから、彼女の言葉を借りつつもう少し補足すると、彼女は「境目」に興味があると言っていた。たしかに被写体は「ガラス」という、外と内とを曖昧に分ける境目だ。
窓を見ると、まず外が見えて、次に僕の阿呆ヅラがガラスに写ってたりする。けれど彼女が写したのはそのどちらでもなくて、まさにそのガラスがガラスとしての役目を果たしていない時なんだ。
水滴で曇ってしまったガラスは、透明であるべきという目的を失っているからね。
トークショーのとき彼女に対してある男性が「では、その境目とはなんですか?」と定義を聞いていたけれど、僕は苦笑してしまった。案の定、彼女は「境目はその時々で変わります」と言っていたけれど、男性は納得できなかったみたいだった。どうして男ってなんでも固定したがるんだろうね。
彼女の写した境目はその瞬間だけ境目だった。もしくは、透明と不透明の境目を写したもの。
次の瞬間にワイパーがかかってしまえばガラスは本来の透明なガラスにもどり、境目はなくなってしまうもの。僕にはそんなふうに見えたよ。
彼女はトークショーのとき、今回の作品群は「うまく話せないのだけど」と前置きしつつ「他の作品とは違って、感情的ではなく、機械的に写した」と仰っていた。けれど僕がポートフォリオを拝見したところ、それまでとまったく同じスタンスで撮っているように感じたので、個人的に聞いてみたら「そうなんですよ!よくわかりましたね!」とお褒めいただいた。
作家さんがいると、作品だけからではわからないことが分かるのがなにより嬉しいよね。僕は基本的にこういうコミュニケーションが好きなんだ。
私も展示をおこなう醍醐味って、見に来てくれた方とコミュニケーションできることだと思うの
トークで質問してもらうのが好き。強制的に即興性のあるコミュニケーションが好きなんだ。そういうときだけすごく脳が活性化してる気がするの
今年も去年と同じく、新しいことができた1年だった
来年も新しいことにとりくめる1年にしたい
目標は地元の新聞に取材してもらうこと
写真を通じて自分の人生の充実感や、生きてる感を獲得している
写真を通じて、と書いてしまうと限定的になってしまうけれど、本を読んだり音楽を聞いたり映画をみたり人とであったり話したりして、そういうことが気づいたら写真行為につながっている気がするね
by me1t
| 2015-12-31 22:01
| 写真