2014年 01月 08日
Iさん |
Iさんが2年前に亡くなっていたことを今になって知った。彼の生態行動から、死の兆候は昔から見られていたようだった。この結末は周囲の人たちにとってはいつか覚悟しなくてはいけないことだったようだ。
ペインティングをやっていたIさん。ちょっとおかしくて才能があってルックスもよく、芸術家という言葉が彼にはぴったり当てはまった。
私達は、横尾忠則やゆらゆら帝国や仲條さんが好きでよく彼らの話をした。
Iさんと私は当時離れた場所に住んでいて なかなか会うことが叶わなかったから、たまにメールを交換して、最近読んで面白かった記事をスキャンして送り合った。
私はその時雑誌の連載をしていて、雑誌の発売日にはいつもIさんが連絡をくれたのだった。
精神的にも辛かったその時期に、唯一の社会との関わりだったその雑誌を毎月欠かさず見て感想くれる人がいるというのが一つの希望であり未来への展望だったかな。
「今俺が思う幸せは起きてても寝てても同じ状態みたいな。起きてても夢見てる状態というか。理性もちゃんとあって。思考も働いて。自我もあって。
絵を描いてる時の精神も常にあって。ギター弾くように喋って。相手の事も考えて。」
いわゆるスイッチ。
寝るのもそうだけどお香たくと休まるとかコレすると集中力高まるとか、儀式もそうだけど決まった手順をこなす事でそのものに集中してゆく。葬式なんかもそうじゃないかと思うけど、故人のために儀式をすること故人に入り込んでゆく故人を偲ぶ。
そういう事を考えてしてきたんじゃなくて、昔からつながってきた出来事や経験で少しずつ形態を変えて本能的に感覚的にかつ人間の考えを加えて。
そしてなおかつそれらに縛られない。時空の関係ない精神状態。
昨年私は文化人類学にはまっていて、大学の講義中にいつもIさんと話したことを思い出してた。
絵は思想、思想は肉体的なもの。肉体の思想は知性を超えていく。
肉体で獲得したものが一番の実感を持って、自分の知となり肉となっていく。
by me1t
| 2014-01-08 02:20
| 写真