2009年 07月 06日
強迫的な |

テレビやインターネットしてると脳が情報をバンバンうけとってる気がする
目に飛び込んでくるものはもう仕方ないから
いかに自分がショックを受けずに対処できるようになるか
とゆーことを思ってたら田口ランディさんの日記にきょうみぶかいことが
かいてあった
発信と受信
ブログについて、ぼんやり考えていた。
こうして即座に、自分の考えをアップできる。読む人がいるかどうかは別にして、読もうとしている人には、私の言葉も、それから見たものでさえ写真と動画で伝えることができる。
「私はこんなの見たんだよ、食べたんだよ、春キャベツはうまいんだよ」と。
しかし、キャベツを嫌いな人にとっては「おえ……」であり、こんなブログ二度と見るかと思うのだろう。
人間がテレパシーというものを使えるようになって、頭のなかのイメージを発信でき、それを受信できるようになったとして、もし、キャベツを嫌いな人が、春キャベツの味をキャッチしちゃったら、そうとう苦痛だろうな。
受信能力の高い人間は、キャッチしたイメージに侵食される。それが快ならいいが、不快であれば相当に苦痛なのである。
ネット上で、たくさんの情報発信が行われるのは、発信を訓練しているように見えながら、実は受信訓練のほうが重要なんじゃないだろうか。つまり、インターネットによって疑似的に人間の受信能力を鍛えて初めて、自分にとって害のあるものが遮断できるようになり、そうなるって初めて、コミュニケーションの黎明期が始まる。いまはまだ原始の時代であり、言語によるあいまいな抽象概念のやりとりしかできないけれど、受信能力が高まることによって、本当にダイレクトなコミュニケーションが言語を媒介することなしに、イメージだけで可能になるんじゃないか……。そのためには、受信能力を自在にコントロールする理性と自我が必要になる。理性と自我を鍛えることで、逆に非理性であり非自我的なものが感受できる。どちらが……ではなくて、同時に手に入れるものなのだ。
いろいろ取材していると、人間は受信能力を極度に押さえて生きている。世界がうるさすぎるからだ。感度を鈍らせるために、教育や社会常識というものがあり、それがセーフティーネットとして機能しているのは、受信してしまうことの危険性を暗黙知しているからかもしれない。
http://runday.exblog.jp/11192534/
by me1t
| 2009-07-06 03:25